【哲学】長期投資と時間選好について

このブログを読んでいる人はきっと、投資に興味があるのだろう。突然だが、哲学的な問いを発してみたい。(なぜ哲学的な問いを発するかというと、僕がそういうの好きだからです)

あなたはなぜ投資をするのだろうか?

お金を増やしたいから、という答えでは十分ではない。

マルクスの資本論を引かなくても明らかだが、お金とは交換価値であり、それ自体の価値ではない。

従って、お金を貯めたいという動機は、将来、生活必需品や、プレゼントや旅行、あるいは子供の教育費などに使うといった、将来におけるお金の使用の増大を目的としているのであって、お金を貯めること自体を目的としているのではないはずである。

もし、お金を貯めること自体が目的となっているならば、それはお金の交換価値という性質を見誤っているのであって、マルクスの言葉で言えば、あなたはフェティシズム(物神崇拝)に陥っているといえる。

従って、「あなたはなぜ投資をするのだろうか?」という最初の問いは、次のように整理できるだろう。

「あなたはなぜ、現在におけるお金の使用よりも、将来におけるお金の使用の増大を好むのだろうか?」

この問いを例えて言えば、

「今、板チョコレートを一枚買うよりも、一年後に板チョコレートを二枚買うのを好む理由は何か?」

ということである。

行動経済学で、財を将来に消費することよりも現在に消費することを好む程度を、「時間選好」と呼ぶ。この時間選好は、人によって違うが、一般に子供のほうが強いようである。

もし、子供に、「飴玉を今3個もらうのと、来週5個もらうのは、どちらが良いか?」と質問すると、だいたいの子供は飴玉を今食べたくなってしまって、今3個もらう方を選ぶだろう。一方、大人に同様の質問をすると、我慢ができるので、来週5個もらう方が得だと考える。

この飴玉についての二択の質問は、来週まで我慢すれば飴玉が3個から5個に増えるので、週に66%の利回りで飴玉を貯蓄するかどうか、という質問と同じである。

そのように質問を言い換えると、週に66%の利回りはトイチどころではない異常な高利回りなので、飴玉を今3個もらうことを選ぶ子供は非合理で、来週まで貯蓄しておくことを選ぶ大人の方が合理的だ、と思われるかもしれない。

けれども、子供の選択も一定の合理性があると言える。なぜなら、子供は好きなようにお菓子を買える財力を持っていないので(最近の子供は持っているのかもしれないけど)、飴玉を今もらうことは他の財を持って変えがたい。子供の移り気な価値観では、今飴玉を3個もらうことによる主観的な効用は、来週飴玉を5個もらうことによる効用を上回っているかもしれない。

大人にとって飴玉は代替可能な物だが、子供にとっては貴重な経験そのものだろう(例えば飴玉ではなくディズニーランドに旅行するという経験なら、大人はどのように選択するだろうか?)

このように、飴玉や旅行という財の主観的な効用は、当たり前だけれども、人によって異なるので、それぞれの使用価値に対する時間選好も人によって異なる。

さて、お金はさまざまな財との交換価値であるが、お金についての時間選好も、人によって異なる。

ここでお金についての時間選好における客観的な基準がある。それは金利である。

(つづきます)