たまごっち化するビットコイン

2010年にビットコインを1万円買っていたら今頃は億万長者だった。この意味でビットコインを買わなかった自分の判断は誤りだったかもしれない。

しかし、ビットコインは長期的には無価値であるという自分の見解は、今も変わることはなく正しいと思っている。長期的という言葉をどのように捉えるかは別にして。長期的に見れば我々は皆死んでいるのかもしれない(byケインズ)

ビットコインを金の代替として考えれば割安だとの声を聞く。金の時価総額は900兆円で、ビットコインの時価総額は10数兆円なので、まだ100倍近く上昇の余地はあるとの論調だ。この見解は誤りであると思う。

古くは通貨そのものとして、また近年は貨幣価値の裏付けや金銭の退蔵手段として、金はその価値を紀元前から認め続けられてきた。単体で金そのものとして存在する性質や、美しさ、保存、加工の容易さなどにより、金は特権的な地位を任命されていた。

翻ってビットコインはどうか。誕生してわずか数年後に、より洗練された仮想通貨が無数に出てきた。ビットコインのシステムはもはや決済手段としては致命的なまでに遅すぎる欠陥を抱えている。金の例えで言えば、金が発見されてわずか数年後に、より優れた「金2」や「金キャッシュ」、「スーパー金」が登場したようなものである。

ビットコインは金よりも切手に近い性質である。あるいはブルームバーグで見かけた記事の例えを借りれば、「白いたまごっち」に近いのかもしれない。数年後には誰も見向きもしなくなるという意味だ。

金ではなく切手に近いというのは、一つにはシニョレッジ(通貨発行益)を享受できるという点においてである。

金は数十億年前の超新星爆発の際に生まれたものであるから、誰かが追加で発行できることはない。ビットコインはその設計上、発行総数が2100万枚と決まっており、ビットコイン単体の中ではシニョレッジは有限であるが、ビットコインキャッシュ、ビットコインプラチナムなど、無限に亜種を作成できる。亜種を公開することでシニョレッジを得て悪さをしている輩が多数いるのは、ICO(PS2のゲームではない)を眺めていればすぐ分かるとおりである。

国家が価値を保証する貨幣(ドルとか円とか)がめちゃくちゃに通貨を発行してシニョレッジを満喫するモラルハザードに陥らないのは、国家が貨幣をめちゃくちゃに発行すると、第一次世界大戦後のドイツのような、あるいは最近のジンバブエのようなハイパーインフレが起こり、国民生活が破滅するからだ。今や政治は洗練されており、ほとんどの国の通貨はそのようなモラルハザードが起こらない信任のもとで取引されている。だから貨幣価値は安定する。

でも仮想通貨はそうではない。

理論的には、価値の退蔵手段は有限な価値しか持たないにも関わらず、無限に亜種の発行可能性があるので、その価値の退蔵手段は無価値である。したがって、ビットコインは長期的には(誰もが忘れ去った頃には)無価値である。

 

価値の退蔵手段としては無価値であっても、決済手段としては価値があるかもしれない。国家が発行する貨幣についても、われわれは国家のお墨付きを意識して使っているわけではない。自らが受け取る商品の対価として貨幣を渡した相手が、同じように貨幣に商品と交換できる価値があると信じて貨幣を使い、そのまた次の人が貨幣を使う、という無限のバトンリレーが続くと信じているから、貨幣に価値があるのである。(マルクスのいう命がけの跳躍)

現状のビットコインは決済手段としては致命的なまでに遅いが、ビットコインキャッシュ等の後発の仮想通貨はその点は改善している。では後発の仮想通貨は、決済手段として先進国国家が発行する通貨に比肩しているかというと、そうではない。現代の通貨は、流通量を景気低迷期には増やし、景気拡大期には抑えるといったコントロールができなくてはならない。だから金本位制は滅びた。管理者なき仮想通貨は(ハイパーインフレが起こり得るジンバブエドルよりは優れているのかもしれないが)発行額の上限が決まっておりそのようなコントロールはできない。

また国家が発行する通貨は国家が生き残る限り、そしてそれを使う国民がいる限り価値があるものとみなされるはずであり、そして一般に国家はゴーイング・コンサーンが成り立つものである。したがってマルクスが命がけの跳躍と呼んだ行為は、国家が発行する通貨においてはそれと意識されずに日々成立しているのであるが、理論上無限に存在しうる仮想通貨は、今後も決済手段として同じように使い続ける人がいるという確証がないために、文字通り命がけで使わざるを得ない。

ビットコインは徐々に採掘コストが上がっていく悪魔の仕組みである。自分には投機バブルを誘引するように運命付けられた代物としか受け取れない。

仮想通貨には株式と違って、収益性等により判断するバリュエーションが存在しないために、誰も今の値段がバブルであるかどうか明言することはできない。

なので自分が言えることは、単にビットコインは長期的には無価値であるということだけだ。最初のブロックチェーンを用いた仮想通貨であるために名が知られており、他の亜種よりも好事家の目を引き、その意味で切手と同様に多少の希少価値で取引されるかもしれないが、誰もその名を忘れ去られる未来には無価値だろう。

しかしそのような長期的視点に立てばいくつかの脆弱な国家は今後数十年のうちにデフォルトしているだろうし、先に見たように単一の通貨内で暴君がシニョレッジを振りかざさないという意味では、少なくともジンバブエドルよりは安心できるのであるから、日本円に次いで流通額が巨大な通貨という現状はバブルであると言えるにしても、現実的には案外、G20あたりの中進国の通貨、例えばトルコリラあたりの価値までの下落で踏みとどまるのかもしれない。

【哲学】長期投資と時間選好について

このブログを読んでいる人はきっと、投資に興味があるのだろう。突然だが、哲学的な問いを発してみたい。(なぜ哲学的な問いを発するかというと、僕がそういうの好きだからです)

あなたはなぜ投資をするのだろうか?

お金を増やしたいから、という答えでは十分ではない。

マルクスの資本論を引かなくても明らかだが、お金とは交換価値であり、それ自体の価値ではない。

従って、お金を貯めたいという動機は、将来、生活必需品や、プレゼントや旅行、あるいは子供の教育費などに使うといった、将来におけるお金の使用の増大を目的としているのであって、お金を貯めること自体を目的としているのではないはずである。

もし、お金を貯めること自体が目的となっているならば、それはお金の交換価値という性質を見誤っているのであって、マルクスの言葉で言えば、あなたはフェティシズム(物神崇拝)に陥っているといえる。

従って、「あなたはなぜ投資をするのだろうか?」という最初の問いは、次のように整理できるだろう。

「あなたはなぜ、現在におけるお金の使用よりも、将来におけるお金の使用の増大を好むのだろうか?」

この問いを例えて言えば、

「今、板チョコレートを一枚買うよりも、一年後に板チョコレートを二枚買うのを好む理由は何か?」

ということである。

行動経済学で、財を将来に消費することよりも現在に消費することを好む程度を、「時間選好」と呼ぶ。この時間選好は、人によって違うが、一般に子供のほうが強いようである。

もし、子供に、「飴玉を今3個もらうのと、来週5個もらうのは、どちらが良いか?」と質問すると、だいたいの子供は飴玉を今食べたくなってしまって、今3個もらう方を選ぶだろう。一方、大人に同様の質問をすると、我慢ができるので、来週5個もらう方が得だと考える。

この飴玉についての二択の質問は、来週まで我慢すれば飴玉が3個から5個に増えるので、週に66%の利回りで飴玉を貯蓄するかどうか、という質問と同じである。

そのように質問を言い換えると、週に66%の利回りはトイチどころではない異常な高利回りなので、飴玉を今3個もらうことを選ぶ子供は非合理で、来週まで貯蓄しておくことを選ぶ大人の方が合理的だ、と思われるかもしれない。

けれども、子供の選択も一定の合理性があると言える。なぜなら、子供は好きなようにお菓子を買える財力を持っていないので(最近の子供は持っているのかもしれないけど)、飴玉を今もらうことは他の財を持って変えがたい。子供の移り気な価値観では、今飴玉を3個もらうことによる主観的な効用は、来週飴玉を5個もらうことによる効用を上回っているかもしれない。

大人にとって飴玉は代替可能な物だが、子供にとっては貴重な経験そのものだろう(例えば飴玉ではなくディズニーランドに旅行するという経験なら、大人はどのように選択するだろうか?)

このように、飴玉や旅行という財の主観的な効用は、当たり前だけれども、人によって異なるので、それぞれの使用価値に対する時間選好も人によって異なる。

さて、お金はさまざまな財との交換価値であるが、お金についての時間選好も、人によって異なる。

ここでお金についての時間選好における客観的な基準がある。それは金利である。

(つづきます)