金融リテラシーがなく大損した大学生の頃の話

米国株の投資家ブログを読んでいると、全てではないですがよく出てくるのが、「永久投資」という考え方です。要するに米国株は過去ずっと右肩上がりでやってきていて、今後も右肩上がりで推移していくと思われるので、買うタイミングは今で、永久に売るべきではないという思考ですね。

この考え方は誤っているわけではないと思います。現在の株価は将来の配当の割引現在価値で、割引現在価値を求めるにあたり、割引率にはリスクプレミアムが乗っている。したがって長期的に見れば株への投資は、安全資産への投資に対してリスクプレミアム分の過剰リターンが見込めます。

市場がセミストロング・フォームで効率的であるとすると、現在の株価は常に将来の配当の割引現在価値を示しているのだから、(インサイダー情報を持っていない限り)株価が割安であるか割高であるか判断することに意味はなく、単純に今買えばよい。

現在の波乱のない緩和的な金融環境においては、ETFやダウ工業株のようなよく投資家によって吟味されている大型株については、ある程度その通りだと思います。

しかしながら、この考え方では、いつ株を売ればよいか、言い換えれば適正株価と現在株価の差異についての視点がない。したがってずっと持っていればよいという話で、投資家はブログに特に目新しく書くことはなく、ページビューを稼ぐために他の投資家をクソダサいなどと馬鹿にして、あるいはS&P500のETFの話を堂々巡りして、買い煽るだけになってしまう。そこには例えばDCF法やEV/EBITDAによるファンダメンタル分析は存在しない。これが今の投資ブログのメインストリームなのではないでしょうか?

 

しかし、グロース株への投資や金融環境の激変期においてはファンダメンタル分析に一定の意味があると思います。

大学生のとき、退屈な講義の合間などにデイトレードをやっていました。当時はリーマンショックの前で、日本の小型株が最近のように2〜3倍、時にはファイブバガーに高騰することも珍しくありませんでした。いくつか時流に乗ったテーマ株に投資していたことで投資資産は一時期、現在のそれを超えていました。本当に調子に乗って、一億円を超えたら働かなくて学問の道に入りたいなーと思った瞬間がありました。

その頃はファンダメンタル分析という言葉もよくわからず、何となく雰囲気で投資しており、現在の株価が適正かどうか判断する方法を持っていなかったため、業績を伴っておらず暴騰していた小型株が暴落すると、割安だと思い込んで買い向かってしまい、結局はその資産の大半を失ってしまいました。もしファンダメンタルを意識しつつ小型株バブルに乗っていれば、暴落に際して適切に逃げ出すことができ、リーマンショック以後の株価低迷期には大型株や米国株に乗り換えることで資産を何倍にも増やせたことでしょう。

あるいはアマゾン株を買っていれば資産は数億円になっていたかもしれない。投資に必要なファイナンス理論はさほど難しくなく、大学生の頃の自分にも理解できたであろうレベルです。(また今度、投資本の紹介記事を書く予定ですが、自分が影響を受けた本としてとりあえずヒギンズのファイナンシャル・マネジメントを挙げておきます)ちょっとしたリテラシーの違いで資産形成に大きく差がついたので、ファイナンスという実学の勉強をもっとしておくべきだったなあと思います。ただ、20代後半で勉強できたことは他の人と比べれば遅くないと思いますが。

 

まとめます。

・今は退屈な金融環境なので投資ブログがどんどん増えてる一方で読み手側のマス層のリテラシー不足もあり書くことは何もなく、単に買い煽りの表現の激化だけが進行しておりつまらない

・来たるべき金融環境が変化する局面においてはファイナンス理論による適正株価の分析が重要になるっぽいので勉強は超大事

言いたいことを整理するとたった2行でしたね。以上ご査収ください。

シーゲル流投資はアノマリーの一つに過ぎない

米国株サイトにとってのバイブルの一つ、シーゲル教授の「緑本」こと、「株式投資」を少し前に読みました。

あちこちで褒められているので教条的なトンデモ本かと思っていましたが、理論的に書かれていて良い本でした。

当ブログも参加しているブログ村の米国株カテゴリで、「シーゲル流」と言われる投資方法が最近流行っていますね。僕の理解だと、「シーゲル流投資」とは、足元の配当利回りが良く増配履歴が長いディフェンシブなセクターの優良大型株を、中長期的に配当再投資し続ける戦略です。銘柄の例を挙げると、コカコーラ、マクドナルド、ファイザー、エクソンモービル、ウォルマート、IBM、フィリップ・モリス、アルトリア、ジョンソン・アンド・ジョンソン、AT&Tなどです。特に「シーゲル流」と名前がついていなくても、「ブログ村」においてディフェンシブな株が非常に好まれていることは明らかです。

この本ではそのような投資が奨励されているのかと想像していたのですが、この「緑本」で推奨されていたのは僕が思い込んでいたいわゆる「シーゲル流」とは少し違いました。

「緑本」では様々なアノマリー(市場の歪み)について分析されています。例えば1月は株価のパフォーマンスが良いとか、月曜日は株価が下がりやすいとかですね。

「緑本」の結論では、米国株に限らず先進国クラスや新興国クラスの分散された株式インデックスを長期的に保有することが推奨されています。例えばVT(バンガード・トータル・ワールド・ストックETF)を配当再投資してひたすら保有するような手法です。

ネットの書評を読むと、「緑本」の続編である「赤本」では(まだ僕は未読ですが)更なるリターンを狙う戦略として、エネルギーセクターやヘルスケアセクターの過去の利回りに着目して、これらセクターへの重点的な投資が推奨されているようですね。これがいわゆる「シーゲル流」の理論的根拠となっているようです。

最近、ブログ村の記事を読んでいて思うのは、シーゲル教授が言っていることは経験的なアノマリーであって、先験的な(どんな環境でも正しい、という意味で使っています)投資理論ではない、ということが理解されているのだろうか、という疑問です。

これまで、エクソンモービルへの配当再投資戦略が IBMへのそれをアウトパフォームしてきたのは、原油というオールド・ビジネスへの期待が、コンピュータという画期的なビジネスへの期待よりも低かったからです。したがってPERは低位に抑えられ、配当再投資が有効だったわけです。

フィリップ・モリスが全ての大型株の中で最高のパフォーマンスを出したのも、規制や市場縮小への懸念が PERを抑えてきたことが一因です。

翻って現状はどうでしょうか?フィリップ・モリスのPERは24.6倍、配当利回りは3.77%です。バリュエーションはグロース株に接近しつつあり、配当利回りは史上最も低い水準です。バリュエーションが割高になるとはどういうことでしょうか?理論株価とは、将来の配当の現在価値でした。したがって、もし現在の価格が適正だとしたら、フィリップ・モリスはIQOSの世界展開について今後の成長性が評価されているため、足元のバリュエーションが割高になっていると考えられるでしょう。電子タバコ市場の将来は非常に魅力的であり、フィリップ・モリスの収益見込みは明るいでしょう。しかしこれは原義的なシーゲル流投資ではありません。タバコセクターが変質しており、もはや期待されず低位に放置されるセクターではなくなっているからです。タバコセクターのアノマリーが消失しているのです。

タバコセクターに限った話ではありません。「緑本」では、過去100年にわたって見られたアノマリーが、最近では消滅しつつあるという例がいくつも出てきます。アノマリーは広く知られた時点でアノマリーではなくなるのです。

一方で、小型株効果は良く知られた現在でも存在するアノマリーの一つですが、「シーゲル流投資」を行っている人たちは、しばしばそのアノマリーを無視しているように見えます。

僕の意見はこうです。

①シーゲルの推奨する投資方法は経験的に優れている。

②将来的にアノマリーが存続するかどうか定かでない。

③バリュエーションを確認し、理論の本質に立ち戻ることでアノマリーの有効性を確認することができる。

④セクター名や米国株という括りだけに着目するのでは、シーゲル流投資は早晩、教条主義に転落するだろう。

 

思考実験:永久に配当しない会社の株価はいくらか?

前回の記事で理論に学ぼうと言った通り、今回は理論のお話。

 

理論株価とは、将来の配当(あるいは清算価値)を割引率で現在価値に置き直した数字の合計である、と前に書いた。

では、永久に配当しない会社の株価は、一体いくらになるだろうか?

 

配当を一切行わない会社は結構ある。収益を再投資し、今まで配当したことがないバークシャー・ハサウェイもその一つだ。

バークシャー・ハサウェイは、オマハの賢人、ウォーレン・バフェットが目の黒いうちは配当を行うことはないだろう。(あって欲しくないことだが)バフェットが亡くなれば?ひょっとしたら配当を行うようになるかもしれない。

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ここでは、観念上の産物として、筆頭株主の方針として、どのような外圧が掛かっても、永久に配当を行わない会社を考えてみたい。仮に名前をバークシャー・ゾンビ社としよう。

この会社の純資産は100億ドル、1年に生み出すフリーキャッシュフローは投下資本に関わらず10億ドル、永久成長率は0%、割引率は5%とする。

バークシャー・ゾンビ社の株式の51%は筆頭株主であるバフェット・ゾンビ(以下、バフェット)が保有している。バフェットは死ぬことがない。彼の信念は、「決して配当を行わない」「会社は永久に存続する」「決して持ち株を手放さない」というものである。

バフェットを除く、全ての市場参加者は合理的な買い手であると仮定する。

 

今、株式の残りの49%が市場に放出されたとする。この株式はいくらで取引されるだろう?

ターミナルバリューの公式に当てはめれば、理論時価総額=10/0.05=200億ドル。

49%株式の価格は200*49%=98億ドルとなろう。

したがって、98億ドルで取引されると考えるのは正しいだろうか?

 

これは間違いである:なぜなら、バークシャー・ゾンビ社は永遠に配当を行うことがないからである。この計算は、フリーキャッシュフローが全て配当されると想定した場合には正しい。しかし、バークシャー・ゾンビ社はフリーキャッシュフローを配当することなく、未来永劫にわたって、純資産に積み上げていくだけである。

 

49%株式の全てをあなたが購入したとしても、株主総会であなたの配当提案は否決されるだろう。バフェットは非合理的なことに、議決権を行使し一切の配当支払の決議を拒否する。

全ての市場参加者は合理的であるとの仮定により、全ての市場参加者は、この会社の株を買ったとしても、未来永劫にわたって一円の配当も得られないことを理解している。

他の市場参加者に非合理的な価格で転売する(キャピタル・ゲイン)ことができないのだから、市場での取引価格はインカムゲインに一致する。すなわち、将来の配当の現在価値である。

それはゼロである。

したがって、この会社の49%の株式の価値はゼロであることが示された。

 

いくつかの反論がありうる。

【反論1】持分法適用会社にすれば会計上の利益が得られるので、バークシャー・ゾンビ社を20%以上保有したい会社が存在する。

したがって49%の株式の市場価値はゼロではない。

 

全ての市場参加者は合理的であるから、会計上のみの利益に踊らされる市場参加者はいない。したがって、バークシャー・ゾンビ社を持分法適用することは無意味である。

 

【反論2】バフェットは「永久に配当しない」信念を持っているが、これは非合理である。会社の利益は株主のものであるから、筆頭株主であるバフェットは自身の利益になるように会社の配当ポリシーを決めるだろう。

資金を再投資に回すことで会社が得られる追加的なフリーキャッシュフローの割引現在価値が、配当を実施することで代わりに行う利得(例えば他の会社への投資や、娯楽など)を上回る場合に限って、彼は配当を行わないことを決議するべきである。そうしないのは非合理である。

非合理な前提から、株式価値がゼロという非合理な結論を導出することは論理的に無意味である。

1=2と前提すれば、いかなる数学的結論をも導出できることと同じである。

 

その通り。この思考実験は論理的に無意味である。

しかし、あなたは指摘を忘れているが、非合理な前提は他にもある。「全ての市場参加者は合理的である」がそれである。

 

 

さて、バフェットは彼の3つの信念、「決して配当を行わない」「会社は永久に存続する」「決して持ち株を手放さない」のうち、「決して持ち株を手放さない」を放棄したとする。そうすると、どのような変化が起こるだろうか?

49%株式は今まで無価値であったが、追加の1%(正確には1%+1株)は重要である。

なぜなら、議決権で筆頭株主のバフェットを上回れば、株主総会で配当を決議できるからだ。

株式の50%+1株を全てあなたが持つ必要はない。市場参加者はバフェットを除いてみな合理的なので、バフェット以外の株主全てが配当決議に賛成するからである。バフェットを除く全ての株主の議決権の合計が、バフェットを上回れば良い。

ここにおいて、最初の計算が意味を帯びる。バークシャー・ゾンビ社の50%+1株の株式の市場価格は200*50%=100億ドルとちょっとになるはずである。

市場に株式価値が取り戻されたのだ。

 

最後に、応用問題を出しておきたい。

【問題1】

配当を永久に行わないバークシャー・ゾンビ社の例を、PERが非常に高く、営業キャッシュフローが赤字である、ネットフリックスのようなグロース銘柄と比較せよ。

 

【問題2】

配当を永久に行わないバークシャー・ゾンビ社の例を、PERが10倍以下と低く、キャッシュリッチであるにも関わらず株主還元を行わないバリュー銘柄(日本の小型株にいくらでもある。だいたいオーナー企業)と比較せよ。

株式による不労所得は社会に価値を生んでいるのか?

結論から言うと、全く違います。思い上がってはいけない。

 

株式を保有することによってあなたは、企業が得た収益の一部を得ることができる。

例えばマクドナルドの時価総額は約10兆円なので、マクドナルド株を10万円買うことで、あなたはこの企業がハンバーガーを人々に売って得た収益の1億分の1を得る権利を持っている。

しかしそれはあなたが、ハンバーガーをグリルで焼いて、人々に手渡しているということではないし、どのような店舗設計を行い、広告戦略を打つかなどといった、経営に口を出しているということでもない。

 

あなたは単に、マクドナルドの収益に対して、所有比率に応じて分配を要求する権利を持っているだけである。

ここで、所有と経営の分離は明白である。

 

あなたが東芝の株式を持っていたとしても、不正会計に道義的責任を負わないのと同じように(もちろん株価の下落という形で金銭的責任は負うのだが)、あるいは電通の株式を持っていたとしても社員の過労自殺に対しての道義的責任を負わないのと同じように、あなたは事業が社会にもたらした価値について道義的に関わっているわけではない。単に金銭的に関わっているのだ。

 

ただし、ボードミーティングへの参加により、実質的に企業の経営に参与できる大株主については、事情は全く別である。彼ら/彼女らは、事業に対して道義的責任を負っている。事業に実質的に関わることがもたらす価値は、株式を大量に買い付ける際のプレミアムとして顕在化している。

 

保有する議決権に1億分の1やそこらのごくわずかの価値しかない株主がもたらしている社会的価値とは何か?それは市場に流動性を供給しているという事実である。

 

数十年前、ジョブズとウォズニアックがカリフォルニア州ロスアルトスのガレージでApple Iを自作しようとしていた時、彼らに資金提供を行い、代わりに株式を得た幸運な人々は、社会的な価値をもたらしていたと確かに言えるだろう。その資金提供がなければ、今のAppleはあり得なかっただろう。

しかし個人が優良企業の株式を市場から買い付ける行為には、流動性供給に対する貢献を除いて、社会的な価値はほとんどない。むしろ優良企業は事業によって生じた余剰な資金を使い、個人株主から株式を買い戻したがっている。21世紀の米国市場において、株式の最大の買い手は企業、最大の売り手は個人なのだから。

 

個人投資家の株式による不労所得に社会的価値を見出す行為は少なくとも誤りであり、更に言えば、個人投資家が社会的価値を生み出す行動をやめてしまう恐れがあるという意味で、有害でありうるだろう。